「そんなふうに言わないでくださいッ…」
 
 悲愴さすら含む切実な願いはただ、長く続く廊下に消えていくだけだった。
 
 
 
 
 
【それはとてもわがままで切実な、それでも真実なのです】
 
 
 
 
 

 コツコツコツコツ足早に

 冷えた石段駆け上がる

 そんなに慌ててどうしたの?

 コツコツコツコツどんどん早く

 ドアは目の前

 探しものは見つかった?

 
 
 
 不安と期待を半々に、世にも珍しい白髪の少年は鈍色のドアノブに手を掛け、そっと開く。
 目の前には期待していた黒と、蒼い空とのコントラスト。
 
「ミラン…」
 その光景に魅せられた少年の言葉は、最後まで紡がれず、風にまぎれて消えてしまった。
 
 
 ふわり ふわり
 
 
 風になびく黒くしなやかなクセッ毛。
 ふわふわを支える、折れてしまいそうに細く華奢な体を包む団服の黒。
 およそ展望には適さない柵の無い屋上では、空に浮かんでいるかのような錯角を起こさせる。
 可愛らしさと儚さとが同居した危うい存在は、魅入れば魅入る程に空へと溶けてしまうのが当たり前のように思えてくる。
 そんなあり得ない恐怖に突き動かされ、少年は自動的に声を発してしまう。
 
「ミランダッ!!」
 
 それはとても唐突で、驚くなと言う方が無理なほど、脈絡を無視した激しさを含む。
 
「きゃぁああッ」
 
 突然呼ばれた名前。
 驚いたミランダはもちろん体勢を崩す。
 後ろを振り向こうと反射的に動くが、体が上手く反応しない。
 細く、折れてしまいそうな足はもつれ、奇跡的な確率で足場のない方向へと傾く。
 
 落ちる。
 そう思った瞬間につかまれた手の感覚。
 引き寄せられる力強さに驚く間も無く、浮遊感と重力、そして柔らかな衝撃と次々に起こる不思議な感覚に混乱せずにはいられないミランダ。
 ほんの刹那の時間が10秒にも1分にも感じてしまう。
 
「…間に合った」
 
「……アレン…くん」
 
 あまりにも短い時の間に起こった出来事。
 ミランダの驚きは混乱を軽く通り越し、心が身体においてけぼりにされたような感覚に陥る。まるで数瞬前の出来事は夜見る夢のように感じている。彼女は、ただただ自分を包み込む温かさが心地よくて、こんな状況下にも関わらずついついうっとりとしてしまう。
 そんなわけで、被害者である当人はまったくといっていい程にショックを受けてなどいなかったのだが、やけに大人しいミランダを、加害者となってしまったアレンは心配しないはずがなかった。
「すみません。あんな風に突然大声で呼ばれたら誰だってビックリしますよね。恐い目に遭わせてしまって本当に…本当に、ごめんなさいッ!」
 とても近くで聞こえる少年の声。
「……え?ア…アレンくん?」
 謝られることにまったく慣れていないミランダ。先程の危ない目に遭った事よりも、少年に謝られたことの方に遥かに動揺してしまう。
「あッ、そ…そんなッ!?ごめんなさい、アレンくんこそだッ、だだだ…大丈夫なの?ケ…ケガしてない?ごめんなさい!ごめんなさいッ!!」
 
 この度の出来事は明らかに少年に非があるのだが、ミランダはひたすらに心配と謝罪を繰り返す。
 
(可愛い…)
 
 ミランダはこの上なく真剣に謝罪しているのだが、アレンは不謹慎にもその姿に愛おしさを感じてしまう。
 ちょうど、向かい合う形でミランダを抱き締めるアレン。下になったアレンの胸の上に、ぎゅッと握った両の手をちょこんと乗せ、一生懸命に顔を覗き込むその仕種はまるで、昼寝をしていた主人に甘えさせろとねだる猫のよう。
 彼女が大粒の涙をたたえ、必死に謝罪しているにもかかわらず、アレンはミランダが愛おしくて見愡れていた。
「ア…、アレン…くん?」
 妙に静かなアレンの状況に、ふと、自分が今どういう状況なのか思い出す。
「……え?きゃぁあああッ!!ごめんなさいッ!!私ったらいつまで上にのってるのかしら。重いわよね。背中が痛いわよね。ごめんなさーいッ!!私ったらついつい…温かくッて気持ち良かったから…」
 
 やはり彼女は混乱していたのだろう。
 言わなくてもいいことまで口に出してしまったのだから。
 
「…あ…え?あの…」
 
 動こうとしても、もう遅い。
 ミランダの細い腰に添えられた彼の手が、彼女の行動を妨げている。
 最初、壊れ物を扱うように、繊細に神経を使って抱きとめていたアレン。だが、ミランダの一言で、我慢していた衝動の枷があっけなく外れる。
 しっかりと力を込めて掻き抱く。
 満たされる充足感。それの、なんと心地が良いことか、ミランダの抵抗などお構い無しにその感覚を慈しむ。
 ずっとこうしていたいという欲求。
 この温もりを抱く機会が永遠に奪われる事が恐ろしい。
 
 アレンの悩み。それは、ミランダをイノセンスに奪われてしまうのではないかという恐怖。
 神の使徒として選ばれたミランダ。
 黒の教団で、どんどんと力をつけるミランダ。
 貪欲に訓練を重ね、着実にシンクロ値を更新していくミランダ。
 
 皆がミランダ誉めたたえ。
 ミランダは、これが私の唯一の特技ですと微笑む。
 
 そんな他愛もない会話を聞くことすら、アレンには負担で、心を傷めずにはいられなかった。それが、とても我がままで勝手な想いだと分かっていても、分かっていても想うことはやめられない。
 いま、この腕の中の温もりだけが、それを忘れさせてくれる。
 
 
 
「ねぇ…、ミランダさん……」
 
 何の前触れもなく、腕の中へと閉じ込めた温もりへ話し掛ける。
 
「貴女の特技…。ひとつだけじゃありませんよ」
 
「アレン…く…ん」
 
「だって、僕はこんなにも…」
 
 続く言葉はそっと、自分の内で紡いでいく。
 
 貴女を愛しているのだから
 貴女の特技は「愛されること」
 僕は、貴女が愛おしくて仕方が無いのですから
 
 苦しい程に力強い包容から、優しく包み込んでくれているような優しい変化にうっとりと目を細めるミランダ。
 
 
「アレンくん…」
 
 
 刻、一刻と過ぎ行く静かな時間。
 もう少し、もう少しだけこの幸せな時間を味わったら、耳許でそっと想いを打ち明けようと心に誓う。
 
 
 
 
 
(貴女の一番の特技は、僕に愛されることでどうですか?)
 
 
------------------------------------------------------------------
2007.05.12
雰囲気で読んで欲しいアレン×ミランダ小説。
 
たったひとつの台詞を言わせたかった為だけに、書き途中、
話を二転三転と修正しまくって結局あまーい感じで
落ち着くことにしました。うん。
 
久し振りのSS〜〜
もっと他愛無い会話を多くしたかった〜〜

 

inserted by FC2 system