「ふぅん、こうしてホテルを転々としていたのか‥‥」
 俺は『こちら側』の達哉ではないからと、かたくなに家に帰らない弟。
 そんな達哉を心配した兄の克哉は、逆に自分から達哉が泊まるホテルについて来たのだった。
「金もかかるし、気にせず家に帰ってくればいいだろうに?」
「俺はアンタの弟じゃない」
 来る途中、何度もしている問答。
 
 

     [あなたの髪を洗わせて]

 

  

「『向こう側』だとか『こちら側』だとか、そんな事は関係ない。お前は僕の弟だろう?」
 優しく微笑む克哉に、目を、心を奪われる。
 その優しさが『こちら側』の達哉を通してのものではなく、今、ここに存在する自分自身へと向けられたものだと思うと目頭が熱くなる。
 だが、素直に涙をみせる達哉ではない。
「だーかーらッ、違うって言ってるだろう!このわからずや!!」
 手近なクッションを克哉の顔面に投げ付ける。
「うわッ!?」
 見事にヒットさせると、ズンズンと怒りのオーラを漂わせながらバスルームへと向かう。
「‥‥??一体なんなんだ?僕はそんなに怒らせるような事をいったか?」
 訳も分からず面くらう兄には、それが照れるという感情からくるものだとは露程にもわからなかった。
 
 
「‥‥‥‥ちくしょう。あんな顔反則だ‥‥‥」
 備え付けのバブルバーを思いっきり握りつぶす。
 やり場のない気持ちを、手近なものへとぶつけた。
 バスタブの中のバラバラと砕けたそれへ勢いよくお湯を注いでいく。
 きめ細やかな泡が生成されるのをボーッと見つめる。
「ッくしょ‥‥。どうしろっていうんだよ‥‥‥」
 あの事件がなかったというだけで、『こちら側』はこんなにも違うものかと思う。
 『あちら側』の克哉は厳格で、達哉に優しい言葉などかけてはくれなかった。
 ただ、言葉にはしてくれないだけでその優しさは知ってはいた。
 その冷酷な態度のおかげで、なんとか自分の中に眠る兄への感情 ―― 家族愛以上の愛情をかろうじて抑えることに成功していた。だが、『こちら側』の克哉ときたら、惜し気もなく愛情を注いでくれる。優しい言葉を、気遣う態度を‥‥、達哉が心の底で渇望していたものを与えてくれる。
 たまらない至福。恐ろしいまでの自制。
「‥‥‥‥っはぁ‥‥」
 お湯が十分にたまると早々に服を脱ぎ捨て、湯舟に身を沈めた。
 すると、
「なあ、達哉?」
「‥‥‥‥ッ!?」
 扉越しに声をかけられただけなのに、異常なまでに驚いてしまう。
 一拍置き、クールともいえる無表情さをつくり出すと、必死で冷静さを装おう。
「‥‥‥‥‥‥何?」
「あー‥その‥‥」
 照れくさそうに言葉を詰まらせる克哉。
「一緒に入りたいわけ?」
「そうじゃなくって‥‥」
 一瞬何かを期待してしまうが、普通に否定される。
「あの‥」
「‥‥何?」
「達哉、お前の髪を洗ってもいいかな?」
「‥‥はぁ?別に‥‥‥いいけど」
 
 ―――ジャー‥‥‥‥‥。
 克哉の繊細な指先が達哉の髪を通る。
 それはうっとりとするくらい気持ちがよかった。
 まんべんなく髪を濡らすと、シャンプーを手に取り軽く泡立てる。
「こうするのも久しぶりだな‥」
 小さい頃は達哉にせがまれてよく洗っていただろう‥と、話す克哉は、鼻歌でも歌い出しそうなくらいに上機嫌だった。
 だが、そんな兄以上に達哉も機嫌が良くなっていた。‥決して顔には出さないが。
 クリーム状の綺麗な泡になったシャンプーを、優しく髪に塗っていく。
 もともと手先が器用で凝り性の達哉は、髪を洗うことも上手かった。
 眠気を誘う程の気持ちよさ。
 しかしここで寝てしまう訳にはいかない。もっとこの幸福を味わっていたい。
 そう思う達哉は、自分から声をかけた。
「な‥あ。どうして急に髪を洗いたいだなんて言ったんだ?」
「えッ‥‥。あ‥‥ああ。懐かしくって…つい。いや、なんとなく‥」
「‥‥‥‥‥ん?」
 克哉の態度に何か感じた達哉は更につっこむ。
「なんでだよ?素直に言えよ」
「べ‥‥別に何もないよッ」
 慌てて泡を流しはじめる克哉。
 怪しい。その態度が不信感を煽る。
「あーそ、別にいいよ。どうせ俺は『向こう側』の弟だものな。教えてはくれないよなぁ‥」
 意地の悪い問いかけ。
「違うって!分かった‥‥話すから‥。その‥‥怒るなよ?」
「場合による」
 っふぅ‥‥‥‥。
「動物はね、嫌いな人にはこういう無防備な所は見せたりしないんだ‥」
「‥‥‥‥‥ほぉ」
「お前が髪を洗わせてくれるってことは、僕を好きとまではいかないかもしれないけれど、それなりに気を許してくれてるのかな‥って」
 眼鏡を外した、幼さの残る素顔。照れくさそうに、頬を朱に染めて話す克哉はとても同性だとは思えない程可愛らしかった。
「‥‥‥‥‥反則」
 ポソリと呟いた達哉の声は、シャワーの音にかき消された。
「へぇ、弟を動物扱い?」
 照れと胸一杯の幸福を誤魔化すために、ワザと半眼で怒った振りをする。
「悪かった!あーもう‥‥‥、だから言いたくなかっ‥‥うわッ!?」
 気がゆるんだ克哉からシャワーを奪い、軽くかけてやる。
「こら‥‥」
「人を動物扱いする方が悪い‥」
 ペロッと舌を出す達哉。
「む‥‥可愛くない」
「可愛くなくて結構。何処かの誰かさんより俺の方が体格いいし‥うわッ!!」
「お返しだ」
 今度は克哉が、達哉の顔にお湯をかけた。
 にっこり微笑む克哉。だがその顔はみるみる曇っていく。
「あ、スマンッ。目に入ったか?」
 顔を抑えたまま、なかなか顔をあげない弟を気遣い前から覗き込む。
「達哉‥‥‥」
「‥‥‥フッ」
「うわぁ!!!」
 一瞬笑ったかと思うと、勢い良く湯舟に引きづり込まれ、丁度姫抱きの格好になる。
「あはははははははははッ」
「こら‥‥‥服がびしょ濡れじゃないか‥‥‥」
「俺にいたずらするアンタが悪い」
 こんな楽しそうな弟を見るのは久しぶりな克哉。
 怒るにも怒れなくなってしまう。
「まったく‥‥‥」
「ッ‥‥ははッ、このまま一緒に入れよ。服はホテルのサービスでやってもらえばいいしな」
「不本意だが、それまではお前の服を借りるぞ」
「いいけど、アンタの方が華奢だからなダボダボだぜ。きっと」
「なッ、そんなわけないだろう。僕はそんなに細くないッ」
「こんなに細いのにか?」
 お湯に濡れ、ワインレッドのワイシャツがぴたりとはり付く胸板をポンポン叩く。
「細くないッ」
 ムキになって答える克哉は可愛すぎた。
 
「ま、見ればわかるんじゃない?」
 
 そう意地悪く言うと、達哉は克哉のネクタイに手をかけた。
 
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2006.08.20
はい、この続きは間違いなくエロです。和彦と織葉のように。
CLAMP著「CLOVER」4巻より。達哉の髪を洗う克哉がかきたかったんです。

 

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