達哉は、克哉のネクタイに指をかけた。
 
 濡れているそれはなかなか外れなかったが、気を抜けば震えそうになる指先で、ゆ
っくりとだが確実に取り去る。
 
「達‥哉‥‥‥」
 
 弟の雰囲気の違いに違和感を覚える。
 先程までの笑っていた達哉はどこへいったのだろう。
 
 されるがままの克哉。
 今ゆっくりと、ワイシャツのボタンを外していく達哉。
 それはただ、表情だけをみれば「俺はアンタの弟じゃない」と言ってきかない、
『向こう側』の達哉特有のポーカーフェイス。
 けれどその瞳には、徹底的に自己犠牲を強いてきたもの独特の悲愴さがあった。
 それでも尚、己の傷を隠そうとする姿が痛々しい。
 
 
 
    [期間限定の睦言、だからお願い]
 
 
 
 目の前で傷ついている弟を抱き締めたい。
 だが、意に反して身体は指先一寸程も動かす事が出来ない。
 
 ワイシャツの前が開き外気にさらされるが、すぐに温もりが伝わってくる。
 克哉の胸元に達哉が頬を寄せたのだった。
 頬の温かさと、濡れた髪から伝わる冷たさが不思議な感覚を生み出す。
 刹那ほどの時間の筈なのに、それはとても長い時間、そうしていたように感じた。
 
 先に口を開いたのは達哉だった。
 
「‥‥‥‥こんなにも細い‥。少し痩せたんじゃないか?」
 
「そん‥なに細くない‥‥。それに痩せたんじゃなくて‥、連日の戦闘で絞られたと
言って欲しいな」
 微苦笑する克哉に、とんでもなく真剣に言葉を吐き出す達哉。
「‥‥アンタは俺が守るから」
 驚き、一瞬克哉の目が見開かれたが、すぐに綺麗な弧を描く。
 ようやく動く体。軽くコンと達哉の頭を叩く。
「馬鹿もの。それは僕の台詞だろう?不甲斐ない僕だが、達哉は僕が守る」
 それに‥と、
「僕の事はアンタじゃなく、ちゃんと名前で呼びなさい」
 優しく微笑むと言葉をつけ加える。
「兄貴‥じゃなくていい‥のか?」
「ああ、いいよ。だって今、僕の目の前にいる達哉は必死で僕の事を兄と認めないの
だから、無理矢理そう呼ばせるよりは名前で呼んでもらった方がいい」
「あ‥‥あ。克‥哉‥‥」
 名前を呼ばれてゾクリと体の芯が震えた。
 驚く程に熱のこもった台詞。
 こんな声で囁かれたら、女性は一瞬で篭絡されるだろう。
 
「克哉‥‥」
 
 互いに絡み逢う視線。
 徐々に縮まる唇までの距離。 
 
「達‥‥‥」
 
 最愛の弟の名前を最期まで紡ぐ事は許されなかった。
 隙間なく塞がれる唇。
 
 果たしてこれが現実なのだろうか。
 ふたりの息遣いだけが妙に響くバスルーム 
 夢が現実(うつつ)か‥‥、克哉には判断し難かったが口角を変え貪るように‥。
まるで肉食獣のような、すべてを奪っていくような高慢で激しいキスに心まで持って
いかれそうだった。
 もう息をするという、基本的な生存本能まで奪われたかと思う程苦しさを覚える。
「‥‥ッは‥‥た‥‥‥つ‥‥‥、く‥‥苦し‥い‥‥」
 行為に夢中になり過ぎていた達哉は、克哉の必死で絞り出す声にようやく我に返る。
 放される互いの唇から伝う銀糸。だが、軽く開かれた克哉の口の端からは、それ以
上に溢れた唾液が首筋を伝う。
 恐ろしいまでの誘惑。
 
 潤んだ瞳、荒い息遣い、バラ色に染まる頬に、艶やかに紅く色づく唇。
 
 
 達哉の理性は最早、風前の灯火に等しかった。
 
 
 コフッ‥‥、コフッ‥‥‥。
 克哉の綺麗な眉が歪み、軽く咳き込む。
 
「ねぇ‥‥‥、克哉。この戦いが終わるまで、俺に克哉の心と体を頂戴」
 先ほどのキスで、目の前の達哉が望むものを嫌でも理解してしまう。
 驚く程に真剣な台詞。泣きそうな、それでいて断ればすべてを奪い去ってやるという、
確信に満ちた高慢な表情に目を奪われる。
 
 そしてこれから克哉の取るべき行動、選択肢は限られてしまったことを悟ってしまう。
 

 

 この場から逃げ出すことは最早、叶わないのだと。

 
 
 

------------------------------------------------------------------

2006.08.20
うわぁ、SSS(って、様はメッチャ短い小説ですよね?)って文字量じゃなくなっちゃてるー。
行為に行く前に‥まさか湯舟の中だけでここまで描写に時間がかかるとは‥恐るべし。
 

 

inserted by FC2 system