赤い、無駄に大きいピーマンが綺麗にスライスされていく様を、絶望的に見つめる伊織順平。
「食わなきゃ‥‥‥‥‥‥‥いけないんだよなー‥‥」
 嫌いなものはきっと体が欲していないのだ。
 拒絶してしまうのは、からだが必要としていないからであって、
ピーマンが食えないのは生物的な防衛本能の一貫なんだと主張‥したかった。
 けれどきっとアイツは許してくれない。
 
 
      [ステップアップ]
 
 
 黒いエプロンを身につけ、とても素人とは思えない程見事な手付きで調理する、美麗なる料理人。
 ヘッドホンから流れる軽快なR&Bにあわせ、手際よく作業を進めていく。
 
「あの〜、夜斗さーん。夜斗さま〜〜〜〜??」
 
 おずおずと声をかける伊織。
(逃げ出す‥‥‥か)
 不穏な決心を固める。
 ここで逃げ出せばあとでどんな仕打ちをされるかわかったものではないが、今は、
それ以上に嫌いなものを無理矢理にでも食べさせられるという目の前の恐怖から逃げ出したかった。
(スマンッ!!)
 テーブルららこっそり移動しようとした瞬間。
 
 ガッ!!
 
「うわぁああああああああああああああッ!!!」
 
 鈍色の鋭い光を放つ得物が、綺麗な放物線を描きながらテーブルへ落下。
「ああ、手からすっぽ抜けてしまった」
 木のテーブルに垂直に包丁が刺さっている。
「だいじょうぶか?順平」
 とびっきり極上のスマイル。
「は‥‥‥はーい‥‥、だいじょぶでーーす‥‥」
 腰を抜かしながらも思わず大丈夫と言ってしまう伊織。
 迫力負けである。
 
 大人しくテーブルに戻った伊織を満足気に眺めると、目の前の作業を再開する寒守。
 鉄製のプロが使うようなフライパンにたっぷりとオリーブオイルを注ぐ。
 スライスしたニンニクを入れ、弱火でゆっくりと温めると、食欲を煽るなんとも
香ばしい匂いが伊織の食欲を刺激する。
 十分に香りがでたところで、たっぷりのベーコンとパプリカが投入される。
 フライパンの上で舞う食材。
 パプリカがくたっとなるまで炒めたら、お手製のシンプルなトマトソースを加え、
スパイスと調味料で味を整える。
 丁度見計らったかのような絶妙なタイミング。アルデンテに湯で上がったパスタに
絡めて完成。
 
 伊織の間の前に置かれる、寒守特製ベーコンとパプリカのトマトソースパスタ。
 
「さ、食べろ」
 にこにこにこにこと目の前で頬杖をつきながら見つめられ、覚悟を決める。
 
「いただきまーすッ!!」
 
 目を閉じ、半ばヤケになってフォークに巻き付けた、パスタの固まりにかぶりつく。
 ‥‥‥‥。
 ‥‥‥‥‥。
 ‥‥‥‥‥‥‥。
 
「あれ‥うめ」
 
 舌の上に広がる程良い酸味とベーコンの旨味。
 伊織の嫌いなハズのピーマンからは青臭い匂いが全くせず、ジューシィで美味しかった。
「当たり前だ。僕がお前の為に作ってやったんだ」
「すっげーウメェッ!!」
「食べやすかろう?同じナス科とはいえ、パプリカには苦味や青臭い匂いがないからな」
「あー、これなら余裕で食えるって」
「大丈夫だな。では、次の段階だ」
 がっついて食べる伊織に、順番は逆だが前菜である色鮮やかなサラダが出される。
 生ハムとモッツァレラチーズのイタリアンサラダの中に混じる赤。
 寒守は、サラダの中の生のパプリカをだけを器用にフォークで刺すと、伊織に差し出す。
 すっかり警戒感の無くなった伊織は素直にパクつく。
 
「甘酸っぺー」
 生のパプリカ特有の甘味と酸味を、バルサミコ酢ベースにしたドレッシングが引き立てる。
「旨かろう?」
「旨い」
 素直にあっさりと返事する。
「まず、苦手意識を克服したところで、次はピーマンで肉詰めを作ってやろう」
「‥‥‥‥‥んー‥‥」
 一瞬言葉に詰まるが、
「じっくりと火を通せば、パスタに入っているそれのようにジューシィで旨いぞ」
「そっかぁ‥。それなら食えっかな‥‥‥」
笑顔と目の前の美味しい料理という実績で見事に諭される。
 
「ありがとな、夜斗」
 あどけなさの残る子供っぽい笑顔。
 自分の苦手なものを克服させようとしてくれる寒守に素直に感謝すると、また
素晴らしい料理を食べはじめる。
 
(ふむ‥)
(もう少し嫌がってくれる方が調教しがいがあっていいのだが‥‥)
 
(まあ、いいか)
 
 無邪気に料理を口一杯頬張る姿をゆっくりと眺めた。
 
 
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2006.09.02
味付けは『鶏ガラスープの素』とコショウだけで美味しいです。
伊織はピーマン嫌いというあるお方の小説。こんな話が出来ちゃう程好きです。

 

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