古く品の良い洋館の扉を開ける。
 
「間違って…、ないよね?」
 
 誰にともなく呟き、手にした地図をもう一度見直す。
 
「うん、間違ってない…、たぶん」 
 
 なるべく思った事は口にした方が良いという、叔父さんの教えを忠実に守るが故
の副産物。つい、頼り無い独り言までもが口から出てきてしまう。
 
 一歩。
 ヘッドホンを外し、中へと踏み出す。
 
「うわぁ、豪華ー。さっすが高級ホテルを改装しただけあるなぁ〜」
 
 4月より転入することになった、月光館学園の学生寮。
 それは、学生寮というにはあまりに豪華であった。
 
「えっと……」
 
 シンと静まりかえるラウンジで、すぐに足が止まる。
 どうしていいのかわからないのだ。
 
「事前に連絡してくれたって言ってたけど…、さすがにちょっと心配だなぁ。
本当に案内してくれる人いるのかな……」
 
 ここへの到着は深夜1時くらいになると、事前に保護者である叔父さんに連絡して
もらってあるはずだった。けれど、余りにも静かすぎて心配になってくるのは、人と
して仕方がないことだろう。
 
 
 
[いらっしゃい、ではここにサインを。]

 

 
「クスッ……」
 
 楽しそうな笑い声。
 ふと、視線を移すとカウンターに、歳の頃は…そう、10歳くらいであろうか、人
好きのする可愛らしい笑みを惜しみなく振る舞う少年がいた。
 青味掛かった短いめの黒髪に、印象的なブルーアイズ。
 この年頃特有の中性的な可愛らしさを、左目の下にある泣きボクロが引き立てていた。
 
「いらっしゃい。ここへ入るには、この契約書に署名してもらわないとね」
 
 少年とはとても思えないような芝居掛かった台詞。
 無邪気な道化といった印象を受けるのは、白と灰色のパジャマのような横縞の服装も
一役買っていた。
 
 ―――パチン
 
 優雅に少年が指を鳴らすと、テーブルに置かれた朱の台帳がめくれ上がる。
(おー、どんな仕掛けになってるんだろ)
「さ、ここへ署名を」
「ふぅん、署名だけでいいの?今は印鑑持ってないよ」
 クスクスと少年が楽しそうに笑う。
「ああ、大丈夫。サインだけで結構ですよ」
 
 
 ――― 音無 来栖 オトナシ クルス 
 

 

 ゆっくりと、丁寧に書き込んでいく。
 
「はい、では確かに…」
 うっすらと笑みを浮かべたまま、少年は消えてしまう。
 また、ひとりになってしまった来栖。
 
 
「あ、内容もよく確認せずにサインしちゃダメって言われたっけ……」
 
 何の疑問も持たずに何かを契約してしまった来栖。
 
「うー……、どんな内容だったっけ。確かに自分忘れっぽいとこあるけどさー。なんで
さっきまで見ていた契約書の内容、思い出せないんだろ。
なんか…、なんか書いてあったんだけど………………………」
 

 

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