少年の耳から外れたヘッドホンから、音の本流が溢れ出す。
 
----Burn my dread---
 
 緊張感を纏う女性ボーカルの声。それはまるで、荘厳なるパイプオルガンの調べを
思い起こさせる。
 
 はぁッ…、はぁッ…、はぁッ……
 
----Burn my dread---
 
 男性ボーカルのラップの合間、それは非常に印象的な間をもって挿入される。
 
 はぁッ…、はぁッ…、はぁッ……
 
 
 暗い、暗い、闇の中。3人の人影が闇を切り裂き疾走する。
 
「ちょッ……、その歌詞……、今のこの状況にッ…合い…すぎッ!!」
 
 3人の内のひとり、亜麻色の髪を振り乱す可愛らしい少女が口を開いた。
 
「へへー……、いいでしょ…Burn my dread。
 私の畏怖を燃やして…って………カッコ直訳っと……」
 
 見た目は物静かな美少年、音無 来栖オトナシ クルスは得意気に答えた。
 
「あー、なんてーかッ……、あれだッ!RPG…でッ……、ボスに挑む時…みたいな?」
 
 この状況下において、のんきすぎる来栖に触発されて長身痩躯の青年が軽口をたたく。
 
「ッだーーーーーッ!!何のんきな事言ってんのよーーッ!!!」
 
 悲痛なる少女の叫びは、唯一の明かり、無気味に輝く異常なまでに大きい満月に吸
収される。
 
 
 
 
   [私の畏怖を燃やして…か、なかなかいいね。]
 
 
 
 
(えーと、どうしてこんなことになってるんだっけ?)
 
 走りながら、来栖はここへ至るまでの状況を思い出そうとする。
 記憶力が悪い訳ではない。むしろ優秀な彼だが、どんな重要なことでもふと、忘れ
てしまうという特異な性質を持っていた。
 
(この人は、丘羽 ゆかりさんで…)
 
 隣で走る少女、ピンクの上着が似合う活発な美少女。
 彼女とは入寮早々にちょっと変わった出合い方をした。
 
「あなた誰ッ!!」
 深夜に寮へ着き、どうしようかと呆然としていた来栖。静かすぎるラウンジの沈黙
を、切迫した彼女の声が破ったのだった。
 額に汗をかき、震える手が握るのはまぎれもなく『銃』だった。
 銃を持っている事自体が異常だったのだが、彼女はさらに不可思議な行動をとった。
 
(どうして僕に銃を向けずに、自分の額に押し当てていたのかな?)
 
 結局、その時の行動の意味は分からないまま。
 彼女の決意は、見目麗しい…真紅の髪に意志の強い瞳が印象的な女性に止められた
のだった。
 だがもうひとつ、分からない事といえば、冷静さを取り戻したゆかりが駅から寮ま
で来る間『平気だったの?』と、異常なまでに真剣に聞かれたことだった。
 
(なんでだろ?)
 
 それ後は、寮や学校を案内してもらったのだった。
 
(うんうん、ちゃんと憶えてる。それで、もうひとりのお兄さんは…と)
 
 
「よ、転校生。オレは、伊織 順平。ジュンペーでいいぜ」
 
 初登校日、転入生の来栖にまっ先に話し掛けてくれた好青年。
 
 日本人の平均以上の長身に、トレードマークは顎に生やした髭と紺の帽子。
 イタズラッ子をそのまま大きくしたような、明るい青年を来栖はカッコイイと思っ
た。それは、同年代へと向ける感情には少々不適切だったが、こんなお兄ちゃんが欲
しいと純粋に思った。
 
 今、来栖の家族と言えば母の弟で、10程しか歳の離れていない叔父さんひとりき
りであった。それを今まで不満に思った事はないが、一人っ子同前の彼は兄弟に対す
る憧れ。まるで小学生が抱くような願望を持っていた。
 
(お兄ちゃん……て、呼んだら嫌われるかな?)
 
 
 
 
 どぉんッ!!
 
 
 
「きゃーーーーーッ!!」
「うわぁ!!」
 
 一際大きな騒音を伴う振動に、来栖の回想は一時中止させられる。
 
 彼等が必死になって逃げることになってしまった元凶は、確実に彼等に迫っていた。
 
「ん…もーーッ!!なんだって…、アンタは外に…なんて…いるのよッ!!」
 半ば切れ気味に、ゆかりが叫ぶ。
 
「えー、だって……。変な夢見ちゃってさ〜、目が覚めちゃったんで深夜の散歩?」
「ちょッ…とぉ、先輩から深夜は物騒だから…、出歩くなって…言われたでしょッ!」
「そしたら順平の姿が見えて……、これって運命?」
「人の話を聞いてーーッ!!」
 あくまでもマイペースな来栖につい、つっこまずにはいられないらしい。
 
 
 
 深夜、寮のモニタリングルームで、先輩と来栖を監視していたゆかり。
 
「どうだい、様子は?」
 
「…昨夜と同じです」
 
「フムフム…やはり興味深いね、〃彼〃は」
 
「実に例外的なケースだよ」
 
 異常ともいえるこの会話を、気まずさでと罪悪感で胸がいっぱいのゆかりは、複雑
な心境で会話を聞いていた。
 しばし、モニターの中で眠る来栖から目を離す。
 
 この時間帯にも関わらず、平然と過ごす彼は異様だった。
 
 
 
『凄いヤツを見つけたっ!これまで見た事もないヤツだ!』
 
 
 
 突然舞い込んだ、もうひとりの先輩からの緊急通信。
 今までとは格の違う〃ソレ〃に戦慄する。
 
 〃ソレ〃から来栖を逃がす命を受けたゆかりは、来栖の部屋へと向かうが…。
 
「ちょッ……!?なんで居ないのッ!!」
 
『丘羽君』
 
 通信機から壮年の男性の声。
 
『丘羽君。音無君は今、B地区にいるみたいだ』
「えええッ!嘘、なんでB地区にッ!ほんのちょっとしか目を離していないのに……」
『いや、そのー…履歴をみたらね。なんだか窓からぴょいっと飛び下りた後、下に置
いてあった自転車で移動したみたいなんだよねー。あはははは』
「ぴょいって……、ここ二階ですよ………」
『あははー………』
 
「……………………………。助けなくていいですか?」
 
『あー、いや…彼を追ってくれ。今回、敵は2体…。1体は正面玄関で、真田君と桐
条君が食い止めているが、もう1体は屋上で何かを捜している感じなんだ…』
「捜して……る………。まさか…彼を?」
『……いや、分からない。けれど、この時間帯に出歩くのは危険だ。君は裏口から音
無君を追ってくれ』
 
「分かりました!!」
 
 
 
 
 どぉんッ!! 
 
 
 今度の振動は前よりも近くで発生し、ゆかりの回想が中断される番だった。
 
「も……ッ、ダメ……。走れ……ない…」
 
 すでに彼女の体力は限界に来ていた。
 
 彼等が佇むのは巨大な交差点。
 歩道に囲まれたその空間は、異様な月明かりの元、まるで何か特別な場所…結界の
中を連想させた。
 
 
「おい………、ありゃ何だ……」
 
 順平のありえないくらい深刻な声。
 その視線の先を、3人は片付を飲んで魅入ってしまう。
 
 
 
 
 黒く暗い…闇と言うよりも、人の悪意、いやらしさすべてを現したような色をする
〃ソレ〃はついに姿を現した。
 
 

 

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